起業家の成功譚は数多く語られる。調達額、売上、ユーザー数——ビジネスの数字は華々しく報じられる。しかし、その裏にある「私生活の犠牲」について語られることは、驚くほど少ない。
この記事は、年商10億円を超えるスタートアップを経営する5人の起業家に匿名でインタビューした内容をもとに構成している。テーマは「パートナーとの関係」。起業が人間関係にどのような影響を与えるのか、率直な声を集めた。
「2年間、まともにディナーを一緒に食べていない」
Aさん(34歳・男性・SaaS CEO)は、シリーズBの調達を終えた直後にパートナーとの関係が破綻した。
「シード期は二人で夢を語り合っていたんです。『この会社が成功したら、こんな生活ができるね』って。でも、シリーズAの準備が始まった頃から、家に帰る時間がどんどん遅くなった。帰っても頭の中は仕事のことばかり。パートナーが話しかけてきても、上の空で返事をしていた」
Aさんが特に後悔しているのは、パートナーの誕生日に投資家ディナーを優先したことだ。「あの日が決定的だったと思う。パートナーにとっては、自分より仕事のほうが大事なんだというメッセージになってしまった」
2年間の関係修復の努力も実らず、最終的に別れることになった。「今振り返れば、投資家ディナーは翌日にリスケできた。たった一晩の判断が、大切な人を失う結果になった」
「私の中の優先順位が変わったことに気づいてもらえなかった」
Bさん(31歳・女性・D2C CEO)は、起業前からのパートナーとの価値観の乖離に苦しんだ。
「起業する前は、週末はゆっくり過ごして、年に2回は旅行に行くような生活を送っていました。でも、起業してからは週末も仕事。旅行なんて論外。パートナーは最初こそ応援してくれましたが、3ヶ月もすると『いつまでこの生活が続くの?』と聞くようになりました」
Bさんにとって起業は人生最大のチャレンジであり、パートナーにもその興奮を共有したかった。しかし、パートナーにとっては「安定した生活を捨ててリスクを取る」行為にしか見えなかった。
「価値観が変わったのは私のほう。パートナーは何も変わっていない。だから責めることはできない。でも、一緒にいることがお互いにとって辛くなってしまった」
Bさんは1年間の話し合いを経て、パートナーと穏やかに別れた。「今でも友人としては付き合いがある。ただ、ライフパートナーとしては、お互いの求めるものが違いすぎた」
「子供が生まれて、初めて本当の葛藤を知った」
Cさん(37歳・男性・フィンテック CEO)は、起業3年目に第一子が誕生。仕事と家庭の両立に深刻に悩んだ。
「子供が生まれる前は、パートナーも理解があった。『今は頑張り時だから』と。でも、子供が生まれた瞬間、すべてが変わった。夜泣きで起こされる、保育園の送迎、病気の時の対応——パートナーだけに任せるわけにはいかない」
Cさんは育児のために退社時間を19時に固定した。しかし、スタートアップの経営は予定通りにいかない。重要な商談、緊急のシステム障害、投資家からの突然の連絡——19時の壁を守れない日が続いた。
「パートナーから言われた言葉が忘れられない。『あなたは会社の子供は育てるけど、自分の子供は育てないのね』って。胸に刺さった」
Cさんは経営チームと話し合い、COOに日常業務の多くを委譲した。「CEOが毎日オフィスにいなくても回る組織を作ることが、結果的に会社の成長にもつながった。属人性を排除するきっかけになった」
「寝室が会議室になった」
Dさん(35歳・男性・ヘルステック CEO)は、パートナーとの「親密な時間」が激減したことについて率直に語ってくれた。
「起業前は、帰宅後にソファでワインを飲みながら今日あったことを話し合う時間があった。寝室に入ってからも、お互いの話を聞いて、自然と親密な時間に移行していた。でも、起業後は帰宅してもノートPCを開いてSlackのメッセージに返信。寝室に持ち込んだPCでピッチ資料を修正する日々。パートナーが隣で寝ようとしているのに、画面の光が消えない」
Dさんのパートナーは最初は我慢していたが、やがて「寝室にPCを持ち込まないでほしい」と訴えた。Dさんはそれを守ろうとしたが、頭の中は仕事のことで一杯だった。
「体はベッドにいるのに、心はオフィスにいる。パートナーはそれを敏感に感じ取っていた。『一緒にいるのに、一緒にいない感じがする』と言われた」
Dさんは専門のカウンセラーに相談し、「マインドフルネス」を取り入れた。「帰宅したら5分間の瞑想をする。それだけで、仕事モードからプライベートモードへの切り替えがスムーズになった。パートナーとの関係も徐々に改善している」
「起業家同士のカップルは最強であり最悪でもある」
Eさん(33歳・女性・EdTech CEO)は、パートナーも起業家だ。
「お互いの状況を100%理解できるのは大きい。『今月キャッシュフローがやばい』と言えば、パートナーは『わかる、うちも去年そうだった』と返してくれる。普通のカップルでは得られない深い共感がある」
しかし、デメリットもある。「二人とも忙しすぎて、スケジュールが合わない。ディナーの約束をしても、どちらかが急用でキャンセル。旅行の計画を立てても、どちらかの会社で問題が発生して延期。結局、二人の時間は深夜の30分だけ、ということが珍しくない」
さらに深刻なのは、「競争心」だ。「パートナーの会社が大型調達に成功した時、素直に喜べない自分がいた。悔しいという感情と、嬉しいという感情が同時に湧いてきて、自己嫌悪に陥った」
Eさんは、パートナーと「仕事の話をしない日」を週1日設けている。「その日は、お互いの会社のことは一切話さない。映画を見るか、料理を作るか、散歩をするか。起業家としてではなく、一人の人間としてパートナーと向き合う時間を意識的に作っている」
起業家がパートナーとの関係を守るための5つの原則
5人のインタビューから抽出した、起業家がパートナーとの関係を守るための原則を整理する。
原則1:「ゼロの日」を作らない
どんなに忙しくても、パートナーとの時間が「ゼロ」の日を作らない。15分でもいい。顔を見て、目を見て、話を聞く。量より質ではあるが、量がゼロになることだけは避ける。
原則2:物理的な境界を設ける
寝室にPCを持ち込まない。ディナーの時間はスマホを見ない。物理的な境界を設けることで、心理的な切り替えが容易になる。
原則3:パートナーを「経営報告」の対象にしない
パートナーに仕事の愚痴を延々と語るのは、パートナーをメンターやコーチの代わりにしているだけだ。仕事の相談は仕事の仲間に。パートナーとの時間は、仕事以外の話題を楽しむ時間にする。
原則4:重要なイベントは絶対に守る
誕生日、記念日、約束したディナー。これらを仕事の予定でキャンセルすることは、パートナーに「あなたは二番目だ」と告げているのと同じだ。カレンダーに入れ、チームにも共有し、絶対に守る。
原則5:助けを求めることを恐れない
関係が悪化した時、一人で解決しようとしない。カップルカウンセリング、信頼できる友人への相談、起業家コミュニティでの共有。問題を放置すれば悪化するだけだ。
起業は人生を賭けた挑戦だ。しかし、その挑戦の過程で最も大切な人を失ってしまっては、成功の意味が問われる。年商10億円のビジネスを築いても、隣で一緒に喜んでくれる人がいなければ、その達成感は半減する。
ビジネスの成長とパートナーとの関係は、トレードオフではない。両立は難しいが、不可能ではない。そのために必要なのは、パートナーを「経営課題」と同じくらい真剣に向き合うべき「人生の最重要事項」として位置づけることだ。









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